思い出の彼方 KanonとAIR

ヴァンガードさんが書いている事ですし対抗して自分も書いてみようかな。

結論からいうとどっちも好きです。自分は。

プレイした順番としてはAIR→Kanon(PS2版)になるのかな
ONEは中途半端にしかプレイしていなかったですし、Kanon発売時はエロゲーから離れていた関係ですけれどあまりにも評判が高かったので物は試しにとプレイしたのが失敗の元

さすがにあれだけの尺のゲームを今再プレイする気には全くないけれども、多分今プレイしても感動するんだろうなぁ、と思います。ゲームで泣くことなんてないだろうと思った自分が泣いてしまった数少ないゲームがAIRでもありますね。ただ作中歌「青空」が流れる場面だけはあまりの演出の過剰さに爆笑してしまったんですが。

今から思うと、この二作品はゲームのコンセプトとしては似通っていても、ビジュアルイメージの作り方がかなり印象的でかつ対照的なんですよね。Kanonの方は、「夢・・・夢を見ていた」のモノローグの場面が象徴するように、雪とその白さが全編を通じてプレイヤーに印象付けられますよね。そして雪と白の持つイメージ ー例えば「無垢」であるとか「純粋」であるとかー シナリオ上で描かれる少女たちに見舞われる悲しい出来事、そしてファンタジー的な設定にそのまま重ね合わせられている訳です。相乗効果という奴でしょうか。

こういうのは定石ではあるけれどそれでもうまい事やったなぁ、と思いますし、実際に自分も楽しめましたし。設定的にいえばKanonの舞台が雪国のそれも冬である必要性ってのは全くないんですからね。

AIRはKanonの逆ですよね。舞台は和歌山なんて説をどこかで聞いたことがありますけれど、その真偽はともかく、とりあえず北のほうでもないですし季節は真夏。強い太陽の照りつける澄み渡る青空の下で無垢な少女たちは・・・やっぱり悲劇に見舞われる。というのがAIRのストーリー。これも演出としては常道だけれどもこちらは青空と太陽の持つイメージと悲劇の対象効果を狙ったもの。これはかなり強烈だったかなぁ。

それからAIRで自分が気に入っている点は、絵的な意味では殆ど変化していないはずなのに、AIRの3章の構成が季節の移り変わりをプレイヤーに感じさせる物になっているという事。

DREAMが初夏。、SUMMERが盛夏、AIRが晩夏というイメージなんですよね。すくなくとも自分的には。

AIR編はDREAMの内容を包括しているのだけれど、後半部での観鈴が衰えていく姿に夏の終わりを感じた人間は多かったはずですし、DREAM編中盤までのなんの屈託もない怠惰な日常からはじまる展開は、これからはじまるであろう楽しい夏の始まりを感じさせる物ですしね。SUMMER編では盛夏とは特に記されていなかったような気がするのですが、3人が旅を続ける森の濃い緑が強い太陽の光を感じさせたんですよね。まぁ、考えすぎかも知れませんけれど、それでも、こういう演出というか構成に、にくたらしいくらいにカタルシスを感じていたりします。

それから、やや脱線ですけれどAIRの感想では、あの結末はBADエンド云々というレビューを結構みましたけれど、あれをバッドエンドだと感じる人間が少なくない数で存在するような土壌が今の美少女ゲームの状況に少なくない影響を与えているのかな、とちょっとだけ思っています。
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by zefiro01 | 2007-01-22 09:35 | ゲーム


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